麻布十番網代町と町会の歴史

麻布網代町の歴史的変遷 「麻布網代町」という地名は、現在の麻布十番地域に位置し、その歴史は江戸時代にまで遡ります。

**宝永4年(1707年)**に、芝網代町の一部が麻布本村分明地へ代地を与えられ移転し、麻布新網代町となりました。

享保8年(1723年)麻布新網代町一丁目、享保8年の代地を麻布新網代町二丁目としました。

しかし、麻布新網代町二丁目は拝領屋敷が入り混じり、沼地など場所が悪かったため、**享保17年(1732年)**に奉行所に願い出て河岸通りに代地が与えられました。

これにより麻布新網代町二丁目が2ヶ所となり、町名が紛らわしくなったため、元文3年(1738年)麻布網代町と町名を改めました。

麻布十番網代会(住民組織)の設立と活動 「麻布十番網代会」は、現在の麻布十番という町名が成立した時期に誕生した町会です。

麻布十番の町名自体は江戸時代に遡りますが、現在の麻布十番の地域には、江戸時代以前には東鳥居坂町、鳥居坂町、宮村町、宮下町など複数の町名が存在していました。

昭和40年代から50年代にかけて住居表示変更が行われ、これらの町名が改められ現在の麻布十番となりました。

麻布十番の「十番」という名前は、江戸時代に河川工事でこの地域が10番目に工事を行う予定だったことに由来するという説が有力です。

網代町会は、この昭和40年代から50年代に行われた住居表示変更によって新たに生まれた町会の一つと考えられています。

町会は、地域住民の生活を守り、地域を良くしていくための活動を行う組織です。

現在、麻布十番網代会は、地域住民の交流を深め、地域をより安全で快適な場所にしていくための活動を行っています。